2009年 05月 20日
文化の割れ目 〜その37〜 |
ご存知の方も多いだろうが、KING OF ROCKこと忌野清志郎さんが夭逝してしまった。
僕は、この訃報を聴いた時、静岡のナイトクラブに居た。
DJで静岡出掛けていたのだ。
僕の出番は午前1時。
清志郎さんが亡くなった時刻は、午前0時52分だったという。
出番の約10分前に、友人からのe-mailで知った。
口から出る言葉は
「嘘でしょ。」
「ガセでしょ。」
すぐさま、自分のモバイル フォンで真意を確かめた。
情報は本当だった。
キヨシローが好きだった僕は、出番10分前に、呆然としていた。
どんな顔で、心持ちで、集まってくれているお客さんの楽しい時間を演出すれば良いのか。
「喪失感」とは、よく言いますが、そんな喪失まで至らない追っ付かない気持ち。
しかしながら、僕だってお金を貰って人前に立つ立場。
僕の気持ちなんて、行ってしまえば、楽しんでいるお客さんには関係ないこと。
キヨシローへの想いがあるのであれば、最高の音楽で楽しむべきな筈だ。
気持ちを切り替え、僕は持ちうる全てを出そうと考え、
ターンテーブル2台をギターの替わりにして、爆音を運んだ。
1曲目は、たまたま持って来てたRCサクセション「ラプソディー」という
LPの冒頭曲、「よぉーこそ」にした。
こんなふうに僕は、ワイルドな静岡の夜を過ごした。
翌日、G/Wということもあり、様々なナイトクラブでは
キヨシローの楽曲が爆音で掛かっていたという。
どんなルードで名のうてのクラブDJでも、キヨシローのソウルは息づいていたという訳だ。
東京に戻った僕は、2004年にキヨシローが発表した「JUMP!」という曲を聴いていた。
彼は生前、ロックンロールを通して「愛と平和」の布教活動を行いたいと
発言していた。
キヨシローと言えば、含みを持ったWミーニング、
そして独特の語り口調の、煙に巻いた歌詞が特徴的だった。
しかし、彼はココに来て具体性を持った曲をドロップした。
飄々としたキヨシローではなく、しっかりと嘆きを持った言葉で
楽曲を紡いでいる。
どんなにこの曲に焚き付けられたことか。
キラビやかな衣装を身に纏い、嬉しそうに武道館のステージを悠々と往くキヨシロー。
泉谷さんじゃないけど、この人が居なくなったという事実が、半月経った今でも
受け入れられないでいる。
遠くて近かった、不思議なおじさん。
by green-ball
| 2009-05-20 20:42
| 音楽