2013年 03月 06日
文化の割れ目 ~その106~ |
昨年の冬はJAZZばかり耳にしていた。
冬に聴く音楽は自然と耳障りが良く、聞き流しやすい、
お水や酸素の様で、味わい深いもの音楽をついつい選んでしまいます。
今冬の寒い夜なんかは、人肌溢れるアメリカの南部地帯で発祥となった
スワンプロックやシンガーソングライター(以下SSW)といった
うたものをよく聴いています。
これらの音楽と出会ったのは僕が19歳のころ。
ハードコアやパンクに混じりながら、このような音楽も併行して耳にしており、
自分の中にある旅心を暖めておりました。
未だ見ぬ明日へ、大陸へ、などとホザキながら。
スワンプロックとは、一体どういうものを示すのか、と申しますと。
「スワンプ」とは英語で湿地、沼地の意。
その多くは特にアメリカ南部、ミシシッピ川の周辺から
アラバマ~フロリダまで多くの湿地が広がっています。
さて、音楽においてのスワンプって何かと申しますと、
明確なジャンル分けというのは難しいのですが、
特にブルーズ、ゴスペルなどが基盤にあり、
アメリカ南部の土着的な音楽や周辺の
カントリー・ミュージックなどと結びついて出来たというよりも、
南部出身のアーティスト達を中心に自らの原点とロック・ミュージックの合流によって
自然発生的に湧き上がってきた音楽と思われます。
時間的な意味で言えば、'60年代後半から'70年代の初めに一つのカテゴリーとして勃興し、
レコード会社の宣伝効果によってシーンの一つとも捉えられますが、
(事実、スワンプ/SWAMP MUSICとの言葉を使ったのは、
アトランティック・レコーズの副社長であり、
南部のR&Bの隆盛に大きく貢献し、フェイム・スタジオから
独立を果たしたジェリー・ウェクスラーとされています。)
地域的には南部から発生しつつも、アーティスト達の流動によって
西海岸へ拠点が移っていったり、所謂サザン・ロックとの区別も曖昧であったり、
「ルーツ・ロック、フル(古)ロック」という
大きな括りのなかに入れられたりと(便利な言葉ではあるんですが)
やはり、正確な定義は難しいのであります。
こうしたアメリカ南部のロックは、大体が黒人音楽と結びついていることが多く、
「泥臭い」という表現がなされます。分かりやすいようでロック好きでないと
今ひとつピンとこない言い方ですが、日本語に置き換えても
スワンプ=沼=泥の連想が当てはまるのも言い得ている気もします。
そんなスワンプミュージック。
この寒い時期に暖を摂る焚き火の様に心を温めてくれるのです。
まずはスワンプ代表作、Delaney&Bonnie&FriendsのMotel Shot。
アメリカのミュージシャンたちは街々へとツアーに出掛けるときに、
屢々宿泊先のモーテルで宴会から引き続いて思い思いに
ジャムセッションを繰り広げるという。気の合う仲間たちと、
普段着の音のままに演奏するというのは、まさにミュージシャンの
醍醐味であり、夢である。このようにモーテルの一室やロビーで
行うジャムセッションのことをモーテルショットと人は呼ぶのだそう。
元祖アンプラグドと呼ばれているこの作品は、アコースティック楽器のみの
演奏で、アンプや機材を部屋に持ち込むのは困難であった為という、
ナイスな諸事情で録音されたブツ。このスワンプ勢に逸早く反応し
現地のミュージシャンとコミットを取って参加したクラプトンのスライドギターが後ろで泣いてます。
そして、南部の伊達男、ミスター囁き、ハンパねえホルモンを出してくるセクシーヴォイスの
持ち主であるスワンプ界のプレスリー、Tony Joe whiteのThe train i'm onを。
このレコードより旅心をくすぐられる盤に巡り会ったことねえっす。
朴訥としたバリトンヴォイスを耳元で囁かれたら男であるワテもイッちゃいます。
テキサス州ダラス出身のホワイト・ブルーズ、marc benno「雑魚」。
派手なロックでは決しないのですが、うねりの効いた
どっしりとした重みがある作品です。
盟友LEON RUSSELとのAsylum choirを解散させた後の本作。
特に僕の好みは1曲目「Franny」。
切々とつぶやく様にブルース、R&Bを聴かせてくれるその語り口は
とても優しく繊細で、白人が行う理想のブルースを体現。
Bobby Womackのシンコペイトしているギターがナイスです。
またスワンプ名のうてのミュージシャンたちが大勢参加して
名盤たらしめております。
特に上記のBobby以外ではJESSE DAVIS(後に登場します!)Clarence Whiteのギターが聴き所です。
南部のデッカい夕陽にマッチングする1枚。思えば、スワンプミュージックの始まりの1枚は
このmarc bennoの雑魚だった様に思う。今でも大切な1枚である。
タジ・マハール、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン等との
華々しい共演歴で有名な、コマンチ族とカイオワ族の両親の間に生れた純粋のインディアンであり、
実に無骨で男らしい風貌と音を紡ぎ出す人でした。
彼はこのスワンプ界では最重要人物で、様々な名盤をプロデュース、
参加している。
ストーンズの映画、ロックンロール・サーカス、
ジョージのバングラデッシュ救済コンサートにも出演しております。
(jesseは客として遊びに来ていたのだが、体調不良だったエリッククラプトンの
代役を急遽任されて出演したという逸話付き。)
あおの中でも特に有名なのはジョン・レノンがカバーした「STAND BY ME」の
あの泣きのスライド・ギター。
あの単音に込めた様々な感情が聞く者の魂を捉えます。
紹介しているこのセカンドアルバムの「ULULU」は非常に評価も高く、
特に5曲目バラッド「MY CAPTAIN」。この曲は恩師、
タジマハールへ送った曲だと言われており、まさにギターで歌う、とは
こういう曲の事を言うのであります。
ロックにおける南部音楽の持つ意味は、深く強いものがありますね。
自分という存在と分かちがたく結びつている遠く彼方の場所を想起させる喜びに満ちた音楽です。
LAという都会の暮らしだからこそ、より強く音楽に立ち現れてきたのでしょうか。
ライ・クーダー、ジェシ・エド・デイヴィス、ジョニ・ミッチェル、ボニーブラムレットを始め、
当時最強のメンツが揃ったスワンプSSW名作中の名作。しかし全く売れなかった模様で、
このあとに続く作品は出していない様です.....。
この枯れた憂いのある声で素敵なメロディーを歌い上げます。
これ一番好きなスワンプのレコかもしれないなあ。
しかし、この手のジャンルは激渋の顔ジャケが何故か多い。
極めつけの「顔!」してるのがこの作品、オクラホマ出身Roger Tillsonの1枚目。
ソロ・アルバムの録音を持ちかけプロデュースした、先ほどご紹介したJesse Ed Davisによる
スライド・ギターが一閃、ごつごつとした骨のある演奏が力強い、
1曲目ディランのカバー「Down In The Flood」で幕開けです。
この作品一貫してJesse臭に支配されております。
ニューオーリンズ、カントリーの要素がはみ出したりと
土臭くとも芳醇なアメリカ南部の大地を連想させる
懐の深いロック・ミュージックを繰り広げてくれてます。
Roger Tillisonは決して歌は上手くないのですが、そのかわり、味わい深さが出ててグッと来る。
そして、これが折り紙付きのセッション・ミュージシャンたちによって
スタジオ・ライヴ形式で録られたというんですから溜め息ものですよ、もう。
えー、顔シリーズです。
この作品は今までの南部志向の音楽とは空気感が少し変わり、
カナダ出身のjesse winchesterの大名盤。
ザ・バンドのロビー・ロバートソンがプロデュースをし、トッドラングレンがエンジニアを買って出た1st。
長いことウッドストックSSWの大名盤として語り継がれています。
名曲「Biloxi」など、寒い夜に何とも似合う、人肌サウンド。
アルバムを聴きながら順に顔を眺めてゆくと、最後にはその表情の意味が違って感じられたり。
アルバムのリリースは1971年、ジェシはその数年前に徴兵を忌避して国境を超えカナダに逃げてきていて、
モントリオール周辺のクラブでソロ活動をしているジェシの姿がロビーの目にとまり、レコード発表へと話が進んだという。
アコースティックギターのオーガニックな調べ、
ザ・バンドのドラマーであるリヴォン・ヘルムが弾くマンドリンの音色。
そのサウンドに耳を澄ませば、フォークナーやレイ・ブラッドベリなどが
記した大陸の風景が脳裏に映し出されるかもしれない。
その風景に似合うのは、やはりジーンズでしかありえない。
アルバムジャケットでジェシが着ているテーラードのジャケットであったとしても、
クリーニングされたばかりの無菌状態ではない。砂塵を繊維の奥深くに忍ばせている筈だ。
ロマンチシズムをたたえながらも、どこか質実剛健な香りのする音だけが持つ世界。
アルバムを1曲目から聴きはじめたときから、
創造力の翼を広げて旅をする事のできる贅沢な時間が自分のものにたぐり寄せられる。
このアルバムには、そんな力が内包されている。
テキサス州出身の遅咲きのアウトロー、ガイ・クラークの1st アルバム。
60年代からフォーク・シンガーとして活動をしていたものの音楽的な成功には繋がらず、
ギター工房で働いていた時期もあった様。そんな折、彼の自作曲である、「L.A Freway」や
「「That Old Time Feeling」をジェリー・ジェフ・ウォーカーが取り上げ、脚光を浴びることになり、
デビューにこぎつける事が出来たという。
人生を楽して生きてきたわけではない、彼だからこそ歌えるんじゃないかな?
決して歌唱力があるわけではないけど、どことなく切なさや悲しみを感じる枯れた歌声に魅了されています。
この作品をリリースした時には、すでに36〜7歳となっていたというから、きっと、
様々な人生の悲哀を綯い交ぜながら歌を吹き込んだのでありましょう。
無性にダンガリーシャツやデニムシャツが着たくなる1枚です。
そしてウィスキーで冬の冷えた身体を暖めたい。
そして、冬のSSWの真骨頂。
こちらもカナダ出身のSSW、71年名盤、Bruce Cockburn / High Winds White Sky。
降り積もった雪。朝、または夜。凍てつくひんやりとした空気の中、誰も踏み入れていない真っ白な地面に足跡を付ける。
美しい寂寥感をしたためたモノクロームのジャケット。
つま弾かれるアコースティック・ギター、ピアノ。
自然への賛歌のようなリリック。
その歌声は朴訥として優しく、
また諭すように厳しく。
毎年、静かな冬の朝夕にレコ棚から取り出しては
聴きたくなる大切な1枚となること必至。
傍らには暖かい珈琲を手にじっくりと聴いて頂きたい。
これも冬の1枚だ。こちらもbruce cookburn同様寒い国、
カナダのSSW・Tony Kosinecの名盤、Bad Girl Songsは、
女性達のことを歌った極私的な作品集である。
愛のことや日常の断片を切り取ったリリックには、彼が得意とする絵画の才能を感じさせられる。
情景の描写が絵画的なのだ。カナダの歌唄いたちは
こういう切り取り方が巧みな方々が多い様な気がする。
だから、出来ればこの作品は日本盤を手に入れて欲しい。
前記の通り、カナダのSSWにはどこか共通する雰囲気があるようなのだが、
それは北の土地の冷涼な空気である。
『まるでカナダの冷気が真空パックで保存されたような』
ものをコンパイルしているというか。彼の歌をはじめて聴いたのは真冬の東京・世田谷だった。
そのせいか、当時の印象を激しく覚えている。下北沢のBarでかかっていたのだ。このレコードを耳にするには
なんてベストのタイミングに居たんだろうと幸運さを覚える。
その印象が強過ぎてなのかもしれないが、御薦めする季節は、やはり、このアルバムは聴くなら冬がベストだろう。
記念すべき1st アルバムを大人たちのオーバープロデュースの為、不本意な形で世に出した彼は、
『歌心』を大切にする名プロデューサー・ピーター・アッシャーと出会い、
彼の『歌』が最高に生きるサウンドを創りあげた。
ラス・カンケルというSSWと最高の相性を持つドラマーの起用も正解だろう。
『何も足さない、何も引かない』シンプルな演奏がトニーの心象風景を見事に音盤に焼き付けることに成功した。
誰かが言っていたが『冬の情景を歌っているわけではないのに、スピーカーから冷たい風が吹いてくるように思わせてくれる音楽』
それなのに夏には似合わない。そんな愛すべき世界がここにある。
冬のロックンロール・アルバム。
さて、カナダ勢は一旦置いといて、再びアメリカ南部へ。
ドニー・フリッツ。シンガーソングライターであり、キーボードプレイヤーにしてシンガーでもある。
ここで紹介するアルバムは、ファースト・ソロ・アルバムで、リリースは1974年。
18歳の頃にソングライターとしての道も歩み始めた。
ソングライティングは、単独の場合もあるが、共作も多い。
例えば、ボックストップスでヒットした「チュー・チュー・トレイン」はダン・ペンと、
ダスティ・スプリングフィールドがメンフィス録音で歌った「ブレックファースト・イン・ベッド」はエディ・ヒントンとの共作。
このアルバムに収められた曲にも、ダン・ペンやエディ・ヒントンの他にも、
スプーナー・オールダム、前記で紹介したトニー・ジョー・ホワイトらの名前が共作者としてクレジットされている。
しかし、これらの情報を持たずに、このアルバムを聴き始めたのなら、
なんて素朴な曲ばかりが並んでいるだろうと思うだろう。
しかし、聴き重ねていくうちに、そのメロディたちは記憶の奥に刻まれていくはずだ。
キャッチーでない分、はき込んだジーンズの色落ちのように、
聴く人の脳裏で熟成され、味わいを深めていく。そんな印象がある。
そう、所謂アジ、だ。
アルバムにはラブ・ソングも収録されているが、それ以前に人間としての生き方の物語、
そんな風情の楽曲がずらりと並んでいる。歌われる人間たちにリッチな人間はいない。
コットン畑で育ったり、幼くして孤児になったり、
正当防衛で人の命を奪わざるを得なかったりする人生と向き合っている。
アルバムの1曲目には、体重が自分の倍もある女性を愛する男を歌った曲が収められている。
歌詞カードとにらめっこしたり、対訳を頭に入れたりしながら聴くと、
アメリカ大陸の真ん中で生まれ、生きることの意味、その端っこに少しだけ触れることができる。そんな気にもさせられる。
冬の寒さは、普段忘れてしまいがちな大事な事をふと思い出させてくれます。
そして上記のダニーフリッツとの共作でも触れた、ホワイトサザンソウルの真打ち、
名作曲家にしてディープなシンガー、ダン・ペン。断片。
南部ソウルの白人ソングライター、ダン・ペンが1973年にリリースしたファーストアルバム。
南部の天才作家と謳われる通り、当然のように粒揃いであります。また、プロデュースも勿論自身の手。
カントリー的な甘さを含んだソウルミュージック仕立てではありますが、
都会的なセンスが感じられる音は、元々裏方さんだけあって隅々まで考えられている感じ。
弦アレンジはバーゲン・ホワイトで、これは素晴らしい仕事。
シンガーとしては渋くて雰囲気がある声で、歌心満載。真っ黒す。ホワイトソウルとはいえ。
さすがに本職と比べると声量や太さという点でやや物足りないところもあるのだけれど、
強弱のコシの付け方が絶妙で、それによってより説得力が増しています。
また、ヴォーカルで力が必要とされるところでは
上手くホーンやコーラスでフォローすることでも迫力を出している。
こういう、サウンド込みでヴォーカルがどんな風に聴こえるか・聴かせるかということに対する配慮を出来る人は
なかなかいません。流石、プロデューサーとしても著名なだけあります。
どの曲も一見無骨で実は洗練されているといった感じだけれど、
2曲目の「Raining In Memphis」(雨のメンフィス....渋い!)
という曲はイントロからケツまで凝りまくったアレンジが抜群の格好良さ。
ピチカートファイヴがサンプリングしたことにより著名です。
残念ながら、LPは高値、CDも現在廃盤になっており、
入手は困難ですが、僕はこれ、19歳から今まで愛聴しているので
一生モノのレコードになります。元取れる!
ということで。
書き連ねて参りました冬盤。
是非、寒いこの期間を逃さずに何枚か聞いてみてくださいね。
街のレコ屋かamazonへGO。
冬に聴く音楽は自然と耳障りが良く、聞き流しやすい、
お水や酸素の様で、味わい深いもの音楽をついつい選んでしまいます。
今冬の寒い夜なんかは、人肌溢れるアメリカの南部地帯で発祥となった
スワンプロックやシンガーソングライター(以下SSW)といった
うたものをよく聴いています。
これらの音楽と出会ったのは僕が19歳のころ。
ハードコアやパンクに混じりながら、このような音楽も併行して耳にしており、
自分の中にある旅心を暖めておりました。
未だ見ぬ明日へ、大陸へ、などとホザキながら。
スワンプロックとは、一体どういうものを示すのか、と申しますと。
「スワンプ」とは英語で湿地、沼地の意。
その多くは特にアメリカ南部、ミシシッピ川の周辺から
アラバマ~フロリダまで多くの湿地が広がっています。
さて、音楽においてのスワンプって何かと申しますと、
明確なジャンル分けというのは難しいのですが、
特にブルーズ、ゴスペルなどが基盤にあり、
アメリカ南部の土着的な音楽や周辺の
カントリー・ミュージックなどと結びついて出来たというよりも、
南部出身のアーティスト達を中心に自らの原点とロック・ミュージックの合流によって
自然発生的に湧き上がってきた音楽と思われます。
時間的な意味で言えば、'60年代後半から'70年代の初めに一つのカテゴリーとして勃興し、
レコード会社の宣伝効果によってシーンの一つとも捉えられますが、
(事実、スワンプ/SWAMP MUSICとの言葉を使ったのは、
アトランティック・レコーズの副社長であり、
南部のR&Bの隆盛に大きく貢献し、フェイム・スタジオから
独立を果たしたジェリー・ウェクスラーとされています。)
地域的には南部から発生しつつも、アーティスト達の流動によって
西海岸へ拠点が移っていったり、所謂サザン・ロックとの区別も曖昧であったり、
「ルーツ・ロック、フル(古)ロック」という
大きな括りのなかに入れられたりと(便利な言葉ではあるんですが)
やはり、正確な定義は難しいのであります。
こうしたアメリカ南部のロックは、大体が黒人音楽と結びついていることが多く、
「泥臭い」という表現がなされます。分かりやすいようでロック好きでないと
今ひとつピンとこない言い方ですが、日本語に置き換えても
スワンプ=沼=泥の連想が当てはまるのも言い得ている気もします。
そんなスワンプミュージック。
この寒い時期に暖を摂る焚き火の様に心を温めてくれるのです。
まずはスワンプ代表作、Delaney&Bonnie&FriendsのMotel Shot。
アメリカのミュージシャンたちは街々へとツアーに出掛けるときに、
屢々宿泊先のモーテルで宴会から引き続いて思い思いに
ジャムセッションを繰り広げるという。気の合う仲間たちと、
普段着の音のままに演奏するというのは、まさにミュージシャンの
醍醐味であり、夢である。このようにモーテルの一室やロビーで
行うジャムセッションのことをモーテルショットと人は呼ぶのだそう。
元祖アンプラグドと呼ばれているこの作品は、アコースティック楽器のみの
演奏で、アンプや機材を部屋に持ち込むのは困難であった為という、
ナイスな諸事情で録音されたブツ。このスワンプ勢に逸早く反応し
現地のミュージシャンとコミットを取って参加したクラプトンのスライドギターが後ろで泣いてます。
そして、南部の伊達男、ミスター囁き、ハンパねえホルモンを出してくるセクシーヴォイスの
持ち主であるスワンプ界のプレスリー、Tony Joe whiteのThe train i'm onを。
このレコードより旅心をくすぐられる盤に巡り会ったことねえっす。
朴訥としたバリトンヴォイスを耳元で囁かれたら男であるワテもイッちゃいます。
テキサス州ダラス出身のホワイト・ブルーズ、marc benno「雑魚」。
派手なロックでは決しないのですが、うねりの効いた
どっしりとした重みがある作品です。
盟友LEON RUSSELとのAsylum choirを解散させた後の本作。
特に僕の好みは1曲目「Franny」。
切々とつぶやく様にブルース、R&Bを聴かせてくれるその語り口は
とても優しく繊細で、白人が行う理想のブルースを体現。
Bobby Womackのシンコペイトしているギターがナイスです。
またスワンプ名のうてのミュージシャンたちが大勢参加して
名盤たらしめております。
特に上記のBobby以外ではJESSE DAVIS(後に登場します!)Clarence Whiteのギターが聴き所です。
南部のデッカい夕陽にマッチングする1枚。思えば、スワンプミュージックの始まりの1枚は
このmarc bennoの雑魚だった様に思う。今でも大切な1枚である。
タジ・マハール、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン等との
華々しい共演歴で有名な、コマンチ族とカイオワ族の両親の間に生れた純粋のインディアンであり、
実に無骨で男らしい風貌と音を紡ぎ出す人でした。
彼はこのスワンプ界では最重要人物で、様々な名盤をプロデュース、
参加している。
ストーンズの映画、ロックンロール・サーカス、
ジョージのバングラデッシュ救済コンサートにも出演しております。
(jesseは客として遊びに来ていたのだが、体調不良だったエリッククラプトンの
代役を急遽任されて出演したという逸話付き。)
あおの中でも特に有名なのはジョン・レノンがカバーした「STAND BY ME」の
あの泣きのスライド・ギター。
あの単音に込めた様々な感情が聞く者の魂を捉えます。
紹介しているこのセカンドアルバムの「ULULU」は非常に評価も高く、
特に5曲目バラッド「MY CAPTAIN」。この曲は恩師、
タジマハールへ送った曲だと言われており、まさにギターで歌う、とは
こういう曲の事を言うのであります。
ロックにおける南部音楽の持つ意味は、深く強いものがありますね。
自分という存在と分かちがたく結びつている遠く彼方の場所を想起させる喜びに満ちた音楽です。
LAという都会の暮らしだからこそ、より強く音楽に立ち現れてきたのでしょうか。
ライ・クーダー、ジェシ・エド・デイヴィス、ジョニ・ミッチェル、ボニーブラムレットを始め、
当時最強のメンツが揃ったスワンプSSW名作中の名作。しかし全く売れなかった模様で、
このあとに続く作品は出していない様です.....。
この枯れた憂いのある声で素敵なメロディーを歌い上げます。
これ一番好きなスワンプのレコかもしれないなあ。
しかし、この手のジャンルは激渋の顔ジャケが何故か多い。
極めつけの「顔!」してるのがこの作品、オクラホマ出身Roger Tillsonの1枚目。
ソロ・アルバムの録音を持ちかけプロデュースした、先ほどご紹介したJesse Ed Davisによる
スライド・ギターが一閃、ごつごつとした骨のある演奏が力強い、
1曲目ディランのカバー「Down In The Flood」で幕開けです。
この作品一貫してJesse臭に支配されております。
ニューオーリンズ、カントリーの要素がはみ出したりと
土臭くとも芳醇なアメリカ南部の大地を連想させる
懐の深いロック・ミュージックを繰り広げてくれてます。
Roger Tillisonは決して歌は上手くないのですが、そのかわり、味わい深さが出ててグッと来る。
そして、これが折り紙付きのセッション・ミュージシャンたちによって
スタジオ・ライヴ形式で録られたというんですから溜め息ものですよ、もう。
えー、顔シリーズです。
この作品は今までの南部志向の音楽とは空気感が少し変わり、
カナダ出身のjesse winchesterの大名盤。
ザ・バンドのロビー・ロバートソンがプロデュースをし、トッドラングレンがエンジニアを買って出た1st。
長いことウッドストックSSWの大名盤として語り継がれています。
名曲「Biloxi」など、寒い夜に何とも似合う、人肌サウンド。
アルバムを聴きながら順に顔を眺めてゆくと、最後にはその表情の意味が違って感じられたり。
アルバムのリリースは1971年、ジェシはその数年前に徴兵を忌避して国境を超えカナダに逃げてきていて、
モントリオール周辺のクラブでソロ活動をしているジェシの姿がロビーの目にとまり、レコード発表へと話が進んだという。
アコースティックギターのオーガニックな調べ、
ザ・バンドのドラマーであるリヴォン・ヘルムが弾くマンドリンの音色。
そのサウンドに耳を澄ませば、フォークナーやレイ・ブラッドベリなどが
記した大陸の風景が脳裏に映し出されるかもしれない。
その風景に似合うのは、やはりジーンズでしかありえない。
アルバムジャケットでジェシが着ているテーラードのジャケットであったとしても、
クリーニングされたばかりの無菌状態ではない。砂塵を繊維の奥深くに忍ばせている筈だ。
ロマンチシズムをたたえながらも、どこか質実剛健な香りのする音だけが持つ世界。
アルバムを1曲目から聴きはじめたときから、
創造力の翼を広げて旅をする事のできる贅沢な時間が自分のものにたぐり寄せられる。
このアルバムには、そんな力が内包されている。
テキサス州出身の遅咲きのアウトロー、ガイ・クラークの1st アルバム。
60年代からフォーク・シンガーとして活動をしていたものの音楽的な成功には繋がらず、
ギター工房で働いていた時期もあった様。そんな折、彼の自作曲である、「L.A Freway」や
「「That Old Time Feeling」をジェリー・ジェフ・ウォーカーが取り上げ、脚光を浴びることになり、
デビューにこぎつける事が出来たという。
人生を楽して生きてきたわけではない、彼だからこそ歌えるんじゃないかな?
決して歌唱力があるわけではないけど、どことなく切なさや悲しみを感じる枯れた歌声に魅了されています。
この作品をリリースした時には、すでに36〜7歳となっていたというから、きっと、
様々な人生の悲哀を綯い交ぜながら歌を吹き込んだのでありましょう。
無性にダンガリーシャツやデニムシャツが着たくなる1枚です。
そしてウィスキーで冬の冷えた身体を暖めたい。
そして、冬のSSWの真骨頂。
こちらもカナダ出身のSSW、71年名盤、Bruce Cockburn / High Winds White Sky。
降り積もった雪。朝、または夜。凍てつくひんやりとした空気の中、誰も踏み入れていない真っ白な地面に足跡を付ける。
美しい寂寥感をしたためたモノクロームのジャケット。
つま弾かれるアコースティック・ギター、ピアノ。
自然への賛歌のようなリリック。
その歌声は朴訥として優しく、
また諭すように厳しく。
毎年、静かな冬の朝夕にレコ棚から取り出しては
聴きたくなる大切な1枚となること必至。
傍らには暖かい珈琲を手にじっくりと聴いて頂きたい。
これも冬の1枚だ。こちらもbruce cookburn同様寒い国、
カナダのSSW・Tony Kosinecの名盤、Bad Girl Songsは、
女性達のことを歌った極私的な作品集である。
愛のことや日常の断片を切り取ったリリックには、彼が得意とする絵画の才能を感じさせられる。
情景の描写が絵画的なのだ。カナダの歌唄いたちは
こういう切り取り方が巧みな方々が多い様な気がする。
だから、出来ればこの作品は日本盤を手に入れて欲しい。
前記の通り、カナダのSSWにはどこか共通する雰囲気があるようなのだが、
それは北の土地の冷涼な空気である。
『まるでカナダの冷気が真空パックで保存されたような』
ものをコンパイルしているというか。彼の歌をはじめて聴いたのは真冬の東京・世田谷だった。
そのせいか、当時の印象を激しく覚えている。下北沢のBarでかかっていたのだ。このレコードを耳にするには
なんてベストのタイミングに居たんだろうと幸運さを覚える。
その印象が強過ぎてなのかもしれないが、御薦めする季節は、やはり、このアルバムは聴くなら冬がベストだろう。
記念すべき1st アルバムを大人たちのオーバープロデュースの為、不本意な形で世に出した彼は、
『歌心』を大切にする名プロデューサー・ピーター・アッシャーと出会い、
彼の『歌』が最高に生きるサウンドを創りあげた。
ラス・カンケルというSSWと最高の相性を持つドラマーの起用も正解だろう。
『何も足さない、何も引かない』シンプルな演奏がトニーの心象風景を見事に音盤に焼き付けることに成功した。
誰かが言っていたが『冬の情景を歌っているわけではないのに、スピーカーから冷たい風が吹いてくるように思わせてくれる音楽』
それなのに夏には似合わない。そんな愛すべき世界がここにある。
冬のロックンロール・アルバム。
さて、カナダ勢は一旦置いといて、再びアメリカ南部へ。
ドニー・フリッツ。シンガーソングライターであり、キーボードプレイヤーにしてシンガーでもある。
ここで紹介するアルバムは、ファースト・ソロ・アルバムで、リリースは1974年。
18歳の頃にソングライターとしての道も歩み始めた。
ソングライティングは、単独の場合もあるが、共作も多い。
例えば、ボックストップスでヒットした「チュー・チュー・トレイン」はダン・ペンと、
ダスティ・スプリングフィールドがメンフィス録音で歌った「ブレックファースト・イン・ベッド」はエディ・ヒントンとの共作。
このアルバムに収められた曲にも、ダン・ペンやエディ・ヒントンの他にも、
スプーナー・オールダム、前記で紹介したトニー・ジョー・ホワイトらの名前が共作者としてクレジットされている。
しかし、これらの情報を持たずに、このアルバムを聴き始めたのなら、
なんて素朴な曲ばかりが並んでいるだろうと思うだろう。
しかし、聴き重ねていくうちに、そのメロディたちは記憶の奥に刻まれていくはずだ。
キャッチーでない分、はき込んだジーンズの色落ちのように、
聴く人の脳裏で熟成され、味わいを深めていく。そんな印象がある。
そう、所謂アジ、だ。
アルバムにはラブ・ソングも収録されているが、それ以前に人間としての生き方の物語、
そんな風情の楽曲がずらりと並んでいる。歌われる人間たちにリッチな人間はいない。
コットン畑で育ったり、幼くして孤児になったり、
正当防衛で人の命を奪わざるを得なかったりする人生と向き合っている。
アルバムの1曲目には、体重が自分の倍もある女性を愛する男を歌った曲が収められている。
歌詞カードとにらめっこしたり、対訳を頭に入れたりしながら聴くと、
アメリカ大陸の真ん中で生まれ、生きることの意味、その端っこに少しだけ触れることができる。そんな気にもさせられる。
冬の寒さは、普段忘れてしまいがちな大事な事をふと思い出させてくれます。
そして上記のダニーフリッツとの共作でも触れた、ホワイトサザンソウルの真打ち、
名作曲家にしてディープなシンガー、ダン・ペン。断片。
南部ソウルの白人ソングライター、ダン・ペンが1973年にリリースしたファーストアルバム。
南部の天才作家と謳われる通り、当然のように粒揃いであります。また、プロデュースも勿論自身の手。
カントリー的な甘さを含んだソウルミュージック仕立てではありますが、
都会的なセンスが感じられる音は、元々裏方さんだけあって隅々まで考えられている感じ。
弦アレンジはバーゲン・ホワイトで、これは素晴らしい仕事。
シンガーとしては渋くて雰囲気がある声で、歌心満載。真っ黒す。ホワイトソウルとはいえ。
さすがに本職と比べると声量や太さという点でやや物足りないところもあるのだけれど、
強弱のコシの付け方が絶妙で、それによってより説得力が増しています。
また、ヴォーカルで力が必要とされるところでは
上手くホーンやコーラスでフォローすることでも迫力を出している。
こういう、サウンド込みでヴォーカルがどんな風に聴こえるか・聴かせるかということに対する配慮を出来る人は
なかなかいません。流石、プロデューサーとしても著名なだけあります。
どの曲も一見無骨で実は洗練されているといった感じだけれど、
2曲目の「Raining In Memphis」(雨のメンフィス....渋い!)
という曲はイントロからケツまで凝りまくったアレンジが抜群の格好良さ。
ピチカートファイヴがサンプリングしたことにより著名です。
残念ながら、LPは高値、CDも現在廃盤になっており、
入手は困難ですが、僕はこれ、19歳から今まで愛聴しているので
一生モノのレコードになります。元取れる!
ということで。
書き連ねて参りました冬盤。
是非、寒いこの期間を逃さずに何枚か聞いてみてくださいね。
街のレコ屋かamazonへGO。
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by green-ball
| 2013-03-06 17:23
| 音楽