2010年 08月 16日
文化の割れ目 〜その67〜 |
伊丹十三監督。
映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナーなど、
たくさんの肩書きを持つ、鬼才。
僕に取っての伊丹さんは、やはり映画監督、俳優という側面、印象が大きい。
彼の残した作品、お葬式、タンポポ、マルサの女、マルタイの女、
スーパーの女、ミンボーの女、あげまん、大病人、静かな生活と
どれもこれも、とにかく素晴らしい。
個人的に大好きなのが、タンポポ。
シニカルさとブラック、ナンセンス、ユーモア、コメディ、シュールレアリズムさを
ふんだんに混ぜこぜにした、ラーメン屋の立て直し奮闘計画ムービー。
無親切に進んでゆく、本筋とは関係のない食にまつわるエピソードの乱立。
興業的には栄華を成し遂げられなかったが、
たくさんのフリークを生んだ。
僕にとって、涙なしでは観れない映画である。
彼の著書にも垣間みることが出来るのだが、
大きい主題をテーマにしつつも、実に人とは違う
着眼点でものごとを捉えているのである。
ものごとの裏側を、ダークサイドさえもエンターテインメントに変えてしまう、
したたかさよ。
何冊も氏のエッセイは発刊しているので、
是非、チェックしてみてください。
たくさんの肩書きを持った氏だが、
僕はこう思う。
映画にしても、役者にしても、編集者にしても、投稿者にしても、
料理にせよ、彼の芸術家としてのキャパシティーと興味の深さ、広さ、は
類い稀なる才能人であったと。
攻め方も独特で、結果、王道を往くのが常ではあるのだが、
プロセスが実に脇役的で、ニクい切り口で入ってくる。
北野武も才人で、肩書きも被る所はあるのだが、
全然違う。
その伊丹さんの独特の立ち位置も子気味良い。
ディスコミニュケーションのこの時代、
こういう、面白いことばかりを考えている人ってのは、
本当に貴重だと思う。
が故に、唐突な死で氏が居なくなってしまったこの事実は
実に悲しく、残念でならない。
何年経っても。
by green-ball
| 2010-08-16 14:57
| 映画