2011年 01月 05日
文化の割れ目 ~その68~ |
しかしながら。
the smiths再燃ブームが続いている。
必ず毎日1曲はthe smithsを聴いている。
パンクとブリット・ポップ、不況とブレア主導の好景気時代の合間に咲いた美しき一輪のバラ。
彼らの勇気の様な軌跡をご紹介しよう。
スミスというグループは、時代の移り変わりの狭間が生んだ貴重な存在だったのです。
しかし、その美しさの意味は、もっともっと理解されるべきです。
21世紀に入って再び吹き荒れ始めている暴力の嵐、その根源となっている
弱肉強食型社会(その先導者は、アラブ諸国ではなくアメリカです)に対して明確に
NO!と宣言した数少ないロックバンドがスミス。
ロックもパンクも反体制の音楽であり、権力という強者に対抗する若者たちのためのものでした。
しかし、スミスのサウンドは、そんな権力に対抗する若者たちよりも、さらに弱い者たちのためのものでした。
失業者や精神異常者、母親の元を離れられない子供たちなど、社会に適応できない人々が彼の詞の主人公でしたが、
そんな主人公が登場する歌は、それまで非常に少なかったと言えるでしょう。まして、ロックと言う音楽は、
今やハリウッド製のアクション映画にぴったりのマッチョで健康的な音楽の代表格になってしまいました。
もちろん、健康的なロックを否定するわけではありませんが、「だから何?」と思うのも確かです。
(それはハリウッド製の映画も同じこと、最近は特にくだらないモノばっかりです)
ザ・スミスは、1982年イギリス中部の工業都市マンチェスターで結成されました。
バンドの中心は、音楽マニアで優れた歌詞を書くヴォーカリストのモリッシー、
それとキャッチーな曲作りが得意なギタリストのジョニー・マー、この二人でした。
(ベースはアンディー・クラーク、ドラムスはマイク・ジョイス)
文学青年のモリッシーが書く不況イギリスの社会状況の下で押しつぶされた人々の苦しみや悲しみ。
それは今までロックが取り上げてきた歌詞の中でも類を見ない情けない内容でした。
好きな人と一緒なら、2階建てのバスに押しつぶされても幸せだ、と言う男とか
バレエのテュテュを着て踊るのが喜びという変態牧師さまとか
大口叩きの俺なんて人類の一員になる権利もない、とグチる男とか
「母さん、僕の頭に泥が落ちてくるよ」と母親から離れられない男とか・・・。
そんなどこまでも情けない男たちの本音に、ジョニー・マーは実にさわやかでポップなギター・サウンドを与えました。
こうして生まれた歌は、モリッシー自身の明解で表現豊かな歌唱、そして優しさに満ちあふれた声によって、見事なポップ・チューンに。
僕は彼らのライブを生で見ていませんが、彼らのコンサート会場は、
いつも花で飾られ、ロック・コンサートの定番とも言える力強い男っぽさとは正反対の雰囲気に包まれていたといいます。
モリッシーの歌いっぷりとダンスもまた、男っぽさとは無縁のもののようです。考えてみると、
花で飾られたロック・コンサートなんて、1960年代のフラワー・ムーブメント以来、聴いたことがない。
マンチェスターで活躍していた彼らには、当時一大ムーブメントを起こしつつあった
ファクトリー・レーベルのトニー・ウィルソンも目を付けていましたが、joy divisionやドゥルッティ・コラムらのプロデュースで忙しすぎたため、
結局彼らはロンドンに進出し、同じく独立レーベルとして大躍進を遂げていたラフ・トレードと契約することになりました。
こうして、彼らはデビュー・シングル"Hand In Globe"を発表、
それに続いたセカンド・シングル"This Charming Man"がスマッシュヒットし、
いよいよ1984年デビュー・アルバム"The Smiths"を発表することになりました。
パンク・ロックは、現状に対する怒りをそのまま音楽として社会にぶつけたムーブメントでした。
しかし、残念ながら「怒りのエネルギー」だけでは、社会を変えることは到底できませんでした。
破壊することは簡単でも、そこから何かを作り上げることは、その何倍ものエネルギーを必要とするからです。
(パンクの時代が残した遺産も確かにありました。それはラフ・トレードなど、
インディペンデントレーベルが誕生したことです。これらのレーベルは、
この後も新人アーテイストたちを発掘しイギリスの新しい音楽を生み出し続けることになりました)
こうして、パンクの時代はしだいに冷めてゆき、若者たちには暗く重い閉塞感だけが残りました。
(そんな時代を象徴するのが、joy divisionの中心メンバー、イアン・カーティスの自殺でした)
こんな状況の中、スミスが登場し、内にこもらざるを得なかった人々の心の内をさらけ出して見せたのです。
しかし、彼らの歌は、けっして負け犬たちの遠吠えではありませんでした。
マッチョ性を一切排除じた彼らのステージングとは対照的に、その歌詞には体制に対する激しい攻撃の姿勢が込められていたのです。
だからこそ、若者たちはいっせいにそんなスミスのサウンドを支持しました。
セカンド・アルバム「Meat Is Marder」では、ついに全英アルバム・チャートNo.1を獲得します。
(アルバム・タイトル「ミート・イズ・マーダー」とは、ズバリ「肉食は殺戮である」という菜食主義者モリッシーからのメッセージです)
続くサード・アルバム「The Qeen Is Dead」では、タイトルどおり英国王室を批判の対象にするなど、
その勢いはいよいよピークに。
弱者の情けない本音を歌っていたはずのスミスは、
いつしか権力の最高峰にまで闘いを挑む存在になっていたのです。
しかし、こうして人気、実力ともに最高の状態に達し、弱者の代表だった彼らが、
王室と対峙できるほどの力をもったとき、その使命は終わりを向かえようとしていました。
彼らの立場は、すでに「弱者」の側ではなく「権力」の側になってしまったのです。
4枚目のアルバム"Strangeways, Here We Come"の発表と時を同じくして、
メジャー・レーベルへの移籍問題が起こり、バンドの方向性に疑問を感じていたジョニー・マーは
バンドを脱退してしまいます。モリッシーは、代わりのギタリストを探し、
バンドの存続を目指しましたが結局それをあきらめ、バンドは自然解散となりました。
今、ザ・スミスが復活したとしても、かつてのように大衆には受け入れられないかもしれません。
時代は変わってしまったのです。
(1990年代後半、イギリスの社会状況は、ブレア主導の経済戦略が効をそうし、画期的に好転しました)
しかし、彼らは、あの時代があったからこそ美しく花開いたし、だからこそ、
その美しさは時を越えて輝きを放ち続けることができるのであろう。
たぶん、再びスミスのような優しすぎるロック・スターが求められる時代がやって来るでしょう。
男らしい男の時代が地球をだめにしてゆく。
男らしくない男、女らしくない女の時代こそが、地球のバランスを取り戻すためには必要なのだ。
世界がバランスを失い始めようとしている2001年、今再びスミスの存在を思いだしてみたい。
2003年、イラク戦争が始まりました。その戦争を仕掛けたのは、アメリカとイギリスでした。
不況下から脱けだしたイギリスはやはりマッチョの国アメリカの仲間に戻ってしまったのです。
ラフトレード所属のアートディレクター、joe sleeにも触れておきましょう。(上記画像参照)
joeは後のモリッシーのADも引き続きおこなっており、
一貫性と独創性同居した淡いトーンのJKT。
モリッシーが個人的に所有していたクラシックムービーのオリジナルスチールプリントを
ワントーンに変え、スミスのトレードマークに仕立てました。
今年の秋に、このthe smithsをテーマにしたMODSコートを制作することを決めました。
乞うご期待。
というわけで、スミスは僕の心を捉えて離さないのです。いつまでも。
by green-ball
| 2011-01-05 20:30
| 音楽