2009年 03月 19日
文化の割れ目 その20 〜序章〜 |
若者は皆、坂本龍馬を目指す。
赤い血が身体中に滾っているのならば。
これが僕の持論である。
今日は少々、日本史的講釈。
「坂本龍馬」という名前は、
日本人なら1度は耳にしたことがあるはずだ。
僕、ダイダイダイダイ好きなんですぅ。
ファンなんですぅ。
坂本龍馬関係の本は、ほとんど所蔵してますね。
ほとんどマニアの域でございます。
龍馬検定問題全問正解な僕が自信をもって
御薦めする、龍馬入門本が、上記写真の2作品である。
これまでの日本史でいっちゃんスペクタクルな時期、
それが江戸幕末期。
いっちゃえばこの時代、もう、青春グラフィティなのです。
この幕末期には、とっても魅力的な御仁が出現した時代でもあります。
坂本龍馬をはじめ、桂小五郎、高杉晋作、中岡慎太郎、徳川慶喜、
武市瑞山、勝海舟、久坂玄瑞、三吉慎蔵、大村益次郎、
岩崎弥太郎、陸奥宗光、吉田松陰、西郷隆盛、佐久間象山、
大久保一翁、小松帯刀、岡田以蔵、ジョン・万次郎、
新撰組の面々......と、名前を挙げたらキリがないくらいの
人物が出てきた時代であります。
そんな人間力溢れる魅力的な人物の中でも一際カリスマ性があるのが、
我が坂本龍馬先生なのです。
坂本龍馬は、1836年、土佐藩(現在の高知県)の郷士商人の小せがれとして生まれました。
元々裕福な家柄だったようですが、
土佐藩において郷士という身分は、非常に位の低い身分でございました故、
身分に関しては、とても悔しい思いを胸に抱いて過ごしていたと思われます。
ちなみに土佐では上士という身分のものたちが様々な事柄を牛耳っており、
それ以外は「糞」の様な扱いだったと言われています。
今の世の中では考えられない時代だったんですねぇ。
たった100何年前の日本での出来事だったんですよ。
そんな郷士侍のせがれ、坂本龍馬。
幼少期には勉強も出来ず、剣術も逃げてばかり、寝小便も治らず、という
いわゆる駄目少年だった様です。
しかしながら、ある一定の年頃になると、
背丈も175〜178センチくらいまで伸び、(当時で言うと、相当な大男だったみたいです)
あれよあれよと剣術の腕もメキメキと上達し、
更なる孝美を求め、19歳の時分、剣術修行の為に江戸の出向きます。
(天下の北辰一刀流・桶町千葉道場に入門)
当時龍馬は、得意の剣術で、地元土佐に自分の道場を開ければ御の字だと考えていたようです。
江戸に出てきた龍馬は、そんな自分の未来予想図を根底から覆し、
トラウマに成るくらいのカルチャーショックを受けます。
いわゆる世に有名な「黒船来航」です。
今まで己の糧に成っていた「剣術」なんて意味が無い。
こんなドでかい船で攻められたら、こりゃひとたまりもないぞ、日本は.....ってなもんです。
もはや剣の時代は終わった....と悟った龍馬は、様々な人たちとの出会いによって、
「これからの日本」という事柄に開眼していきます。
鎖国を重んじていた当時の舵取り江戸幕府体制は、
この黒船来航という出来事を機にゆっくりと、確実に揺らいで行ったのです。
この頃から全国的に吹き付けていた風、「尊王攘夷」という思想。
いわゆる、政権を天皇に返し、江戸幕府主体の政治主導体制をなくし、
外敵、外圧に備えなければ、日本に未来はない!という思想である。
この時勢の流れを目の当たりにした龍馬は
強いカルチャーショックを受けるのでありました。
〜中編へ続く〜
by green-ball
| 2009-03-19 15:43
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