2009年 03月 23日
文化の割れ目 その21 〜中編〜 |
龍馬先生の濃い一生は、なかなか1回だけの講釈では
なかなか語り尽くせない、ということもあり、今回は4編に渡って、
「人間・坂本龍馬」の青春バイオグラフィティをお届けしたいと思います。
龍馬に関する書籍は山の様に発刊されております。
是非、ご興味がありましたら、調べてみてください。
では、中編。
尚一層の「尊王攘夷」の風が日本中を包んでいた。
黒船来航を目の前で体感した龍馬は、剣術の傍ら、
「吉田松陰」の先生筋にあたる、
公武合体論、開国論者の第一人者
「佐久間象山」の私塾にも通い、
グローヴァルな眼を育む。
この頃、時流は強引なペリーによる強硬なる要求に屈し、
下田、箱館港を開港。
永きにkeep onしていた「鎖国」政策が崩壊し初めていた。
剣術留学一次満期という事により、
龍馬は一旦、故郷土佐に戻る。
北辰一刀流中目録を取得。
(免許で言うと仮免かな?)
佐久間象山や吉田松陰らとの出会いで
彼らから学んだ言葉から、龍馬は
「自分が一体日本の為になにができる?」という
自問自答する日々を送る。
土佐に戻った龍馬は、同輩たちに(武市半平太、吉村寅太郎、
那須信吾、安岡嘉助、田中顕助、岡田以蔵ら)
黒船来航、開国に至る、現在の江戸の状況を講義。
この講義から決起した、武市半平太(後に瑞山)率いる土佐勤王党。
彼ら若者たちはこれから後に、歴史の表舞台へと出て行きます。
しかしながら、この講義を聴いていた者の内、天寿をまっとうできた者は
ほとんどおらず、幕末の風雲に、その若い命を捧げることとなる。
龍馬は新たに国暇を得て、北辰一刀流免許皆伝取得を名目に
再度江戸へ留学。
坂本家の財力が成し得た機会ですね。
うらやまー。
そんな子供思いの父、八平は重い病気を患っていた。
そんな父の病状を背中に背負ったまま、江戸へ向かう龍馬。
父の死期を悟った龍馬は、一心不乱に剣術修行に勤しむ。
八平が存命のうちに、免許皆伝の報告をして慶ばせたい、
その一心で龍馬は凄い気迫で修行に打ち込んだそうです。
しかしながら、姉で坂本龍馬を語るとき必要不可欠な人物、
乙女姉さんからの手紙が江戸の龍馬の元へ、父・八平の
死を知らせる手紙が届いた。
龍馬の切なる願いは叶わなかった。
悲しみに暮れる間もなく、龍馬は更に剣術を高め、遂には
千葉道場の塾頭の位まで昇りつめた。
そんなある日。
土佐藩主、山内容堂が江戸で催した御前試合が行われました。
この御前試合で「龍馬最強伝説」が生まれます。
各名門道場から、名のうての剣客たちが出場しました。
龍馬は桶町・千葉道場の代表として出場しました。
みんな完全にノーマークだった無名の龍馬。
勿論、優勝候補は他に居ました。
今武蔵と呼ばれている二刀流の使い手
「島田駒之助」や、後に木戸孝允に名を変える「桂小五郎」、
鏡心明智流の使い手「上田馬ノ助」、桃井道場「福富健次」などなど。
どれもこれも剣の達人である。
そこで龍馬はバッタバッタと1本を奪ってゆき、
この剣術試合優勝により、龍馬の剣名は江戸中に轟いたのであります。
この御前試合で結果を出した龍馬は、
北辰一刀流免許皆伝目録を目出たく取得。
龍馬は故郷・土佐へその目録を手にし戻るのでした。
by green-ball
| 2009-03-23 00:40
| 本