2009年 04月 30日
文化の割れ目 〜その33〜 |
僕の中に、優しは存在するのだろうか。
仕事が忙しくてピリピリしてたり、大事に想っているスタッフを一喝したり、
不誠実なことをしたり。
こんなふうな毎日を過ごしつつ、僕は自分に問う。
優しさってやつの実像は見たこともないし、
定義もわからない。
敢えて突き放す優しさもあるだろうし、
本当のことを言い過ぎない、添い遂げる優しさもあるだろう。
こういうふうに漠然としたイメージは頭の中にあるのだが、
果たして実生活では、どれくらい機能しているのだろうか。
わからなくなるのである。
同時に落ち込んだりもする。
そんなふうな不安定な気持ちの時に、そっと僕は
この漫画を開く。
とりとめもない日常に潜むちっちゃなドラマ。
コーヒーにまつわるエトセトラ。
勿論、傍らには自分で煎れたコーヒー。
それをお供に、この本をペラペラとやる。
「優しさ」の断片すら切り取れない僕ではあるのだが、
僕の中の「優しさ」のイメージは、この本の中にある。
僕は、この本で描かれてある物語に少しでも
共感してくれる人たちが居たら、
それだけで世の中は良い方向に向くんではないか、なんて錯覚にも陥る。
でも、優しさだけじゃ生きられないって、誰かが歌ってたっけ。
人に嫌われたくないから、優しくするんですって誰かが言ってたっけ。
そうだね。
そうかもしれないね。
by green-ball
| 2009-04-30 02:04
| 本