要するに。
要するに、だ。
僕はとどの詰まり、植草甚一さんに成りたかったのです。
植草甚一ことJ.J.おじさん。
東京は神保町の主とも言われたJ.J.伯父ちゃま。
ここ最近は、ちょっとした静かなるブームで、
伯父ちゃまのことを知っている方もいらっしゃるだろう。
彼は、ジャズ、映画、ミステリー文学、ファッション、街歩きなどに、深く精通しており、
元祖若者文化水先案内人だったのです。
実に興味深い伯父ちゃまの痛快な人生を紐解いてみましょう。
では。
彼はまず、衣類工場に勤めます。たくさんの衣類のデザインを手がけたようです。
そして、元々映画ファンであった伯父ちゃまは、
映画配給会社「東宝」に勤めます。
この頃、初めての映画評をキネマ旬報に発表。
東宝在籍時に、某作家のゴーストラーターを勤め、いくつかの作品をリリース。
(もちろん、植草甚一名義ではありません。)
その後、海外映画や海外小説の翻訳も勤める様になり、諸々刊行。
元々、いろんな才能や博学知識を持ってた方なんですね。
東宝では宣伝部に籍を置いていましたが、労働抗議で退職。
キネマ旬報の同人となり、アメリカ映画部門の編集委員を務めます。
本格的に映画評論を書き始め、様々な媒体で連載を持つ様になります。
この頃から、J.J.というニックネームを使う様になりました。
論文の中に出てくる三人称であった自分の分身の称名を
「シネマディクトJ」としており、(シネマディクとは、映画気違いの意)
そこから、更に語呂を良くするために「J.J.」と改めたのです。
評論の傍ら、様々な書籍の監修、書籍収録作品チョイス係、解説文などを執筆。
その斬新な作品選びで、ミステリー愛好家の間で伝説的な存在と成る。
そして伯父ちゃまは、1956年頃から、ジャズ ミュージックを聴き始める。
ジャズ専誌「スウィング・ジャーナル」でも執筆をはじめる。
ジャズファンだけに送った評論ではなく、よりわかりやすく、実にユーモアな考察で、
若者たちからの支持を得る。
雑誌「平凡パンチ」で伯父ちゃまが取り上げられる。
このことで、更に若い世代の読者を獲得。
植草甚一ブーム到来。
本格的な初の単行本、「ジャズの前衛と黒人たち」を発刊。
さらに名著であり、僕の愛読書でもある「ぼくは散歩と雑学が好き」を発刊。
サブカルチャーの普及に至る。
独特のリズム、ユーモア、雑感を交えた好エッセイ。
独特のリズム感と言い回しが非常に敷居が低く、
事柄に興味がない者でも引きつけられる「優しさ」と
「親密さ」に溢れた作品である。
この頃から、売れっ子執筆家として1ヶ月に300枚の原稿を執筆。
雑誌「宝島」の前身、「ワンダーランド」の責任編集となる。
様々なエッセイや単行本をリリース。
彼は実にハイカラで、面白いものには年齢など問わずに夢中になる。
50歳を過ぎてからジャズを聴き始め、あげく、当時「新しいやり方」であった
ロック・ミュージックにも傾倒。
年を重ねても、その興味は枯れることが無かった。
自身作のスクラップコラージュを制作してみたり、高齢時にあるにかかわらず
単身NY旅行に出掛けて行ったり、と思ったら、無類の本好きで、
当時の伯父ちゃまを街で見かけた人々は口を揃えた様に言う。
両手いっぱいの紙袋に古本を抱えた伯父ちゃまを何度も見た、と。
膨大な彼の蔵書は4万冊にのぼったという。
まさにレコードやくざならず、古本やくざ!
男子には独特な収集癖があると思う。
レコードや古本をはじめ、おもちゃやスニーカー。
まさに「アディクト」の元祖であろう。
そのレコードや古本のコレクションで、自宅の床が抜けたという逸話は有名である。
伯父ちゃまの風貌は、それはそれは独特かつ華やかで、
亡くなる2年前の1977年にはベストドレッサー賞を授与している。
僕は、彼のその姿を追いかけるかの様に、伯父ちゃまが
かつて暮らしていた、東京は小田急線沿いの「経堂」
という学生街に住み着いた。
上京と共に。
憧れのJ.J.が居た街。
それだけで僕は下宿を決めたのだ。
こんなに面白く素敵な伯父さまは、もう現れないであろう。
だから、僕が成ろうと思う。
僕にレコード/古本収集と、喫茶店巡りをはじめとした街歩きの
楽しさを教えてくれたのはまぎれもない植草甚一さんだった。
ある日、僕が高校生のときに足繁げに
通いつめてたジャズ喫茶のマスターが
youth records/kitchen WALTZに
奥さんを連れ立って訪ねてきてくれた。
僕らからしてみたら、マスターもカリスマだった。
16歳のとき、初めてジャズ喫茶に行った。
爆音で鳴り続けてるモダンジャズの音色と、
煙草の煙に包まれた暗がりの店内にビビりながら。
マスターが誇る膨大なアナログ盤の量にも
ド肝を抜かれたもんだった。
そんな僕らの憧れのマスターがわざわざ山形から訪ねて来てくれたときの
僕らの狂喜乱舞ったらありゃしなかったよ。
そんなマスターが、WALTZ店内に設置された本棚に仕舞われた
ある一冊の本を見つけた。
「おお!植草さんの本だな!偉い偉い!!植草さんの本置いてあるなんて!」
と褒められた。
マスターもJ.J.伯父ちゃまの子供だったんだ。
マスターは伯父ちゃまの本を片手にこう言った。
「植草さんはよ、他の頭固い評論家とは違ってて、わかりやすいし、
実に的確で、ジャズへの愛情が伝わる様な文章を書く人だったんだよ。」
なんだかとっても嬉しくなったのです。
僕らの生活を豊かにするには、植草甚一が必要だ。